2008年5月4日〜5日
神奈川県境尾根北西編
菰釣避難小屋泊とイノシシとの遭遇



(第1日)2008年05月04日
0833大滝橋0837〜1005一軒家避難小屋1015〜1057大滝橋上1101〜1156畦ヶ丸1211〜1228モロクボノ頭1230〜1312大界木山1320〜1342城ヶ尾峠1348〜1355城ヶ尾山〜1430中ノ丸1436〜1505ブナ沢分岐〜1513菰釣避難小屋

(第2日)2008年05月05日
菰釣避難小屋0505〜0530菰釣山0536〜0554ブナノ丸〜0615油沢ノ頭0620〜0630樅ノ木沢ノ頭〜0650西沢ノ頭〜0710石保土山0715〜0735水ノ木分岐〜0746山伏峠分岐〜0828富士岬平0832〜0840バラシマ峠〜0849高指山0905〜0925切通峠〜1005ヒモシ峰〜1021鉄砲木ノ頭1027〜1039三国峠〜1105三国山1115〜1139車道横断〜1200明神峠〜1225欣求のベンチ〜1219明神山〜1243湯船山1252〜1309白クラノ頭〜1340峰坂峠〜1351悪沢峠〜1401樹下の二人〜1405世附峠1410〜1442不老山南峰〜1543大久保山(614m)〜1616谷ヶ山(525.9m)〜1640(484m)〜1740駿河小山駅

 
5月4日の行程                                5月5日の行程

(各図はクリックすると別画面で拡大表示します)

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第184号)



今回は、以前からの念願だった神奈川県境を歩くことにする。
北の鐘撞山から大室山、加入道山を経て畦が丸までは以前歩いたことがあるので、そこから西へとのばしてゆく。入山は、西丹沢の大滝橋から。畦が丸から大滝峠上までのコースを歩いたことがなかったのと、この方が長距離となる2日目の行程に下りが多く少しは楽かと思ったからだ。



5月4日(日曜日)

初日は菰釣避難小屋までの約10kmのコース。登りとはいえ余裕はある。
まずは、大滝橋から大滝沢・ステタロー沢と沢沿いに登ってゆく。
新緑に包まれた沢は、普段にも増してすがすがしい。

いつものタチツボスミレ、ニョイスミレ、ムラサキケマン、ミヤマキケマンとともに、クワガタソウが咲き始め、ツルシロカネソウはほぼ満開状態。それぞれの花を楽しみながらのんびりと登ってゆく。ネコノメソウも見かけた。黄緑色の葉をのばしてきれいだが、その近くのハナネコノメは、花後に徒長したように伸びた茎が何となく不格好で情けない。

尾根にあがるとミツバツツジとマメザクラ。足下には、ワチガイソウやミツバツチグリ。ヤマウツボも初めて見ることが出来た。
特に菰釣山に近づくにつれて、辺り一面がマメザクラとなり、改めて春を満喫させていただいた。

菰釣避難小屋には一番乗り。そののち単独者1名、千葉からのグループ4名の計6名が泊まることになった。
私の夕食はインスタントラーメン。もう一人は、レトルトカレー。一方、4人グループは、温かいご飯にベーコンの入ったジャーマンポテトとたっぷり野菜入りの春雨の煮物。あまりにおいしそうで見とれていたら、お裾分けをいただいた。どうもありがとうございました。
菰釣避難小屋近辺には適当な水場がない。自宅から担ぎ上げた水は、初日の飲み水の1リットルのほかに2.5リットル。
これを翌日の飲み水として1リットル確保した上、夕食に500ミリ、朝食に500ミリ。従って、水の余裕は夕食後のコーヒー1杯のみでした。緊急用に別にもう1リットル確保しておくべきだったと反省。(夜の楽しみのウイスキー350ミリは別計算・・・)


大滝沢の新緑


尾根道も芽吹き始めている


菰釣り避難小屋前のベンチで
昼寝しながらブナの巨樹を見上げる


本日の宿泊者は6名
(一人は外で喫煙中)



5月5日(月曜日)

酒の入ったこともあり、日の落ちる前に寝てしまったようだ。
翌朝は4時起床。
皆の朝食は、揃って卵スープ入りのおかゆ。やっぱりこれが定番ですね。
朝食を終え、5時に皆より一足先に出発。最後の掃除をしなくて申し訳ありませんでした。

さて、今日は30kmの長丁場だ。天気は曇り。時折霧雨が降るあいにくの天気だが、歩いてほてった身体にはミストサウナにいるようで心地よい。
菰釣山頂上からの景色は朝霧が麓にたまり1100m以下は霧の中。山々が島のように浮かんでいる。残念ながら富士山は雲の中だった。


不老山頂上からのパノラマ
(1100mより下は霧の中 富士山は見えません)

カシミールにて山座同定

このあとは、時折かかるガスの中をひたすら歩く。西に行くに従って、スミレに変化が現れてくる。色の白いオトメスミレが混じるようになり、時折色の濃いアカネスミレも現れる。

8時半頃突然目の前に展望が開ける。目の前に山中湖。相変わらず富士山は雲の中だが、もったいぶったように時折裾の方をちらつかせる。

ふと辺りを見回すと、銀の袋と白い器がおいてある。何かと思ってよく見ると、小さな骨壺を入れる袋。表に「名字」と「○○号」と書かれている。きっと大事にしていた犬のお骨を持ってきたのだろう。横には掘られた穴と真っ白い骨壺。こんなところにペットの骨壺を埋める方も埋める方だが、掘り出す方も掘り出す方だ。散骨するのなら、せめて壺と袋は持って帰ってほしいものだ。気がついたゴミは拾うようにはしているが、さすがに骨壺はねえ・・・


高指山からのパノラマ
(正面に富士山が見えるはずなのだが・・・)


気を取り直して歩を進める。切通峠までは右手に山中湖のテニス合宿村を見ながら進む。GWの合宿中なのだろうが、ボールを打つ音とかけ声がやかましい。ここを過ぎて切通峠に入ってようやく静かになったと思ったら、今度は三国山から明神峠まで車道の音と富士スピードウェイの音で騒がしい。なかなか気持ちの落ち着かないコースだ。
しかし、そんななか岩田さんの作った道標が心を和ませてくれる。サンショウバラは、蕾も判らないほどだったが十分にコースを楽しませていただきました。

三国山の標石の四面

西面


北面


東面


南面

ようやく不老山に到着し、最後の下りとなる。途中から一般道でない県境尾根にはいる。この道は、岩田さんが建てた道標を行政府が撤去していろいろもめたという話を聞いている。どちらが正しいとか安全だとか管理上の問題だとか言う話は今は語る立場にないので差し控えるが、とりあえず県境を歩きたいと思っている人がいるのは(私を含めて)事実。実際に歩いてみると、やはり道に迷う。最初は踏み跡をたどっていったが、614mピークでループし、いつの間にか北に向かっていた。雰囲気がおかしいことに気づきあわてて地図とコンパスを取り出す。方向転換し踏み跡をたどりながら出来るだけ南に向くように進んでゆく。

途中、三等三角点である谷ヶ山に立ち寄る。その後、尾根を一旦登る。すると突然先の方で「ブオッ!」という声。そちらの方を向くと50mほど先にいる黒い物体がこちらに向かってくる。「やっちゃった・・・!」と思ったが、よく見ると牙を生やしたイノシシ。それでも少々危険を感じたが、30mくらい手間で突然方向を変えて沢の方に逃げていった。
先日シチミさんの事件があっただけにドキドキだった。

その後更に南に進むが最後の下りが判らない。GPSまで取り出して調べるが指し示す方向はあまりにも急傾斜で、16時半を過ぎて薄暗くなってきた小雨の中を下るにはあまりにリスクが大きそうだ。ということで、ここはあきらめ南西に延びる緩やかな尾根沿いに進む。既に踏み跡らしきものはない。どうなることかと思いながら進むと、幸いなことに東電の巡視路に当たった。ほっとして、巡視路に沿って進んで行く。ようやく国道近くに出た場所は、採石場のすぐそば。猛スピードで走る自動車の合間を縫って反対側に渡り、ドライブインで駅までの道を尋ね、ようやく駿河小山駅にたどり着いた。

岩田翁は、県境尾根(不老の活路)をどのようにコース設定したのであろうか。しっかりと調べてからトライすべきであった。また、県境の取り付き地点は、もしかしたら採石場の中にあるのかもしれない。次回機会があったら調べてみたい。


マメザクラが満開


最後まで霧と小雨の中を進んだ

とりあえず、2日目の30キロコースを歩き通せてほっとした。天候が悪く展望がきかなかったのは残念だったが、霧雨の中を歩いたため涼しく、喉の渇きがさほどでなくて1リットルの水で足りて助かった。自宅に帰り体重計に乗ったら2.5kg減っていた。しかし、ビールをあおって結局元に戻ってしまうのだろうなあ。

自宅に帰ってから、ネットで調べたところ、お師匠様のs−okさんが書かれている記事でだいたい合っていることが判りました。
よかったよかった。

山行記はこれまで。



このあとは、今回観察した花と岩田翁の道標をご覧ください。
道標は写真をクリックすると別画面で拡大します。


ウツギ


ヤマブキ


ケウツギ


クワガタソウ


ユリワサビ


ミツバツツジ


マメザクラ


ツルシロカネソウ


エンレイソウ


アカネスミレ


オトメスミレ


ワチガイソウ


ウマノアシガタ


クロモジ


カントウミヤマカタバミ


ジシバリ


バイケイソウ


クサボケ


ユキザサ


サンショウバラ


ヤマウツボ


ミヤマキケマン


キンラン