2011年10月8日〜10日
分水嶺22 黒岩山〜馬坂峠
秋晴れに 笹を掻き分け 快進撃 懸垂下降も なんのその

今回もチーフリーダーであるMさんの記録を引用させていただきます。




 尾瀬から三県境の黒岩山を経て馬坂峠に向かうコース。前回は、記録的な集中豪雨となった7月の末、赤安清水から引き返した。3度目の挑戦になる今回は、メンバーの鬼門突破の願いが叶い、絶好の秋晴れに恵まれた。黒岩山から先は、分水嶺らしい藪との戦いも心地よくこなし、馬坂峠までを踏破した。福島/栃木県境の藪シリーズの序章となった。

2011年10月8日 土曜日 快晴

 晴れの特異日である体育の日を含む3連休の初日。東京駅から「たにがわ401号」に乗る。メンバーは精鋭7名。8月、9月は分水嶺の山行が無かったので、久しぶりの再開だ。お互いに、夏の山行の成果を語り合う。高崎で在来線に乗り換えて沼田で降りる。大清水に向かうバス停には20人ほどが並ぶ。上毛高原から来たバスは、既に満席。大きなザックを抱えながら、無理やりに乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めのバス道中は、初日の核心部となった。一時間半の苦行で大清水に着く。ここも賑わっていたが、ほとんどの人は尾瀬沼に向かう。今年は社会実験として一ノ瀬休憩所まで電動マイクロバスが運行されている。7月に下山してきた時には、一ノ瀬からの道は濁流でえぐられてバスが通れるような道ではなかったけれど、夏の間に修復したのだろう。
 10:55 我々は、中岐沢沿いの林道を歩く。こちらに来る人は少なく、一転して静かな山行となる。山の上の方では紅葉が始まっている。前回は濁流だった枝沢の滝も、今回は澄んだ水を落としている。10:41-49 奥鬼怒林道からの分岐で最初の休憩。地図によると、この近くに靫滝(うつぼたき)、というのが在ることになっているが、その姿は未だ見たことはない。小淵沢沿いの林道に入る。昨年の11月に、鳩待峠から尾瀬沼を経由して降りたときに、山葡萄を拾ったところだ。今回も、きょろきょろと探しながら歩いたが収穫は無かった。時期が早いのか、今年の異常気象で実がつかなかったのか?
 12:40-50 林道歩きを終えて、登山道に入る。200m程の急登をこなしてしまえば、後は、なだらかな道だ。前回、沢の様になっていた場所も、今回は立派な登山道。途中に何箇所かある渡渉も、石伝いに靴をぬらさずにわたる。12:53-59 稜線に到着。ここを通過するのは4回目。今回が最後となることを祈って、先に進む。刈ったばかりの笹の葉を踏みしめながら歩く。只見幹線の送電線を潜り、袴腰山は福島側に巻く。
登山道 渡渉
小淵沢沿いの林道から登山道に入る

軽々と渡渉

 15:00 しばらく進むと赤安清水に着いた。標識の前のスペースに4人用のテントを張り、20mほど先のスペースに3人用のテントに張る。福島側に20mほど下り、トラロープで急斜面を下ったところに水場がある。昭文社の地図には涸れていることが多い、と書かれているが、しっかりとした湧き水だ。濁さないように気をつけながら水を確保。それぞれのテントで祝杯を上げる。昼間は暖かだったが、日が暮れると冷えてくる。煮込みラーメンで体を温める。4人テントでは3人がワインを持ってきていたが、すべて飲み干してしまう。TuBさんが、自家製ブルーベリージャム添えの杏仁豆腐を差し入れてくれた頃には、すっかり出来上がっていた。寝言ならぬ、寝歌まで出て楽しい夜をすごす。
水場 赤安清水
赤安清水の水場にトラロープで下る

赤安清水でテントを張る


10月9日 日曜日 晴れ

 5:15の出発予定に対して4人テントは4:00に起床。ちょっと待った君の3人テントは、余裕を見て3:55に起きたようだ。ゆっくりと準備をしていたら、3人テントは、早々と出発の準備を整えてしまった。まだ、暗いのでゆっくりとストレッチをして5:20に出発。赤安山まで200mほど登る。山頂は福島側に巻き、少し下ると自然に黒岩山のトラバース道に入る。
 7:12−22 黒岩山の分岐に到着。まっすぐ行けば鬼怒沼山へ向かう。黒岩山に登る道は、昭文社の地図では破線になっている。休憩していると黒岩山のほうから単独者が降りてきた。昨夜は黒岩山の山頂にビバークしたそうだ。我々より先に、二人組みが登っていると教えてくれた。意外とメジャーなルートのようだ。黒岩山への踏み跡は、いったん栃木県側にトラバースしてから山頂に向かう。最初は整備された道であったが、登るにつれ、笹がうるさくなる。
 7:54−8:12 黒岩山の山頂に着く。二人連れが休憩していた。頂上にはプレートが何枚もある。木にかけられているもの、杭で固定されているもの、そして地面に落ちているもの。少なくとも8枚はあった。そのうち一枚を拾い上げて記念撮影をする。正面には、孫兵衛山、そして、6月に18名の大部隊で行った田代山が見える。振り返れば、燧ケ岳が見える。二人連れは来た道を戻っていった。我々の藪との格闘は、ここから始まる。わずかな踏み跡を拾って北に進む。大きな黒い岩を巻いて進む。この岩が黒岩山の名の由来かも知らない。
黒岩山 黒岩山の黒い岩
やたらに標識が沢山ある黒岩山の山頂

黒い岩の間を進む

空中懸垂
空中懸垂 体が立ってしまうとキツイ

 8:25 群馬/福島/栃木の三県境の小ピークに到着。黒岩山の名前は標高の高い南のピークに取られてしまって、名前の無い不運な三県境だ。福島/栃木の県境は、台倉高山から田代山の区間を除いて登山道が無い。長大な藪が続いている。今回を含めて5回の藪山行を計画している。北北西に進路をとってしばらく進むと傾斜がきつくなる。
 8:55−9:20 崖の淵を倒木を伝いながらトラバースして降り口を探すが、トラバース自体危険な状態になり、ロープでの下降を決める。30mのダブルロープをセット。ロープを投げると途中の木に引っかかりそうなので、束ねたロープを肩にかけて降りることにする。下には傾斜が緩やかな場所が見えているが途中の状態はわからない。ロープの長さが足りるかどうかは微妙なところだ。エイトカンで下降。松の枝を超えて、岩のエッジを蹴ると体が宙に浮いた。オーバハングの岩壁になっているのだ。幸いなことに3mほどの空中懸垂で傾斜名緩やかな場所に降りついた。今回、エイトカンは個人装備に加えていなかったので、後続のメンバーは、カラビナに半ノットで降りてくる。しかし、空中懸垂になるとロープが滑らず四苦八苦、その間に簡易ハーネスがずり上がってきてつらい体勢になる。ラストは、普段からスワミベルトをしているKsが、すんなりと降りてきた。藪山行の時には、スワミベルトとエイトカンを必携品に加える、というのが今回の教訓であった。ここから先、傾斜はゆるくなったが笹薮と潅木帯が交互に行く手をさえぎる。栃木県側の笹薮は、かなり手ごわい。福島側の潅木帯に踏み跡を拾いながら歩く。
福島県側は踏み跡が続く 栃木県側の笹薮
福島県側には踏み跡が多い

栃木県側の笹薮

 12:07 笹薮の急斜面を腕力で登って孫兵衛山の肩にたどり着く。三角点のある山頂は、分水嶺の尾根から外れている。山頂を踏もうという意見は誰からも出ず。幕場を目指して下りに入る。広い笹原の尾根で進路が定めにくい。GPSで方向を修正しながら下っていく。1960mまで下り、「真っ直ぐ!」と後ろから声をかけならが歩いていたら、先頭のHrから崖で進めない、と返答が帰ってくる。確かに前方を見ると、正面は谷だ。仕方なく福島側を迂回する。後でGPSの軌跡を見ると、谷を迂回した場所は、広い尾根を福島側に遠回りしているように見える。地形図にある栃木側の谷が、実際には、もっと福島側まで入り込んでいるのが正しい地形のようだ。困ったら福島側に逃げる、というコツを飲み込んで前進して、幕営予定地の引馬峠に降り立つ。引馬峠は、広い潅木帯で目標物が無い。ここには、今は使われなくなった日本で一番高所にある水準点があり、何時間もかけて探した、というウェブの記事があった。今回、GPSには、その水準点の座標を登録してある。後ろから、右30度100m、左20度40mなどと声をかけながらアプローチしていく。そして先頭から「あった」という声がかかる。先のウェブを書いた人が設置した引馬峠の標識だ。そして、そのすぐ前に水準点が見つかった。
福島県側は踏み跡が続く 栃木県側の笹薮
明治41年設置の徳二四号二等水準點がある引馬峠

水場探しはベテランの域

引馬峠のテン場
引馬峠のテン場

 14:39−50 水準点の前で記念撮影をする。すぐそばにテントを張る場所を確保。ここでの心配は水場。福島側に降りれば沢に出ることはわかっていたが、どのぐらい降りれば水があるのかは、事前の調査ではわからなかった。女性陣に食事の下準備をお願いして男性陣で水探しに出かける。
 15:08 先頭のHrが鼻を利かせて歩いていく。さすがに土木工事の専門家、しばらく行くと源頭部発見の声。沢沿いに下ると、直ぐに湧き水が見つかった。テントを張った場所からわずかに120mの距離だった。お酒の紙パックを利用した漏斗で水を汲む。目標物の無い樹林帯、テントを張った場所に戻るにもGPSの力を借りる。
 15:20 ストレッチをしてテントに入ると、お湯が沸いていた。カフェオーレを飲んでまったりする。今日は、お酒は控えめにして、カレーの夕食を食べる。

10月10日 月曜日 晴れ

 5:35 明るくなるのを待って出発する。1981.7mの小ピークまで100mの登りが朝のウォーミングアップになる。赤テープを追いながら登っていく。笹薮がうるさくなったら福島側に逃げれば踏み跡が見つかる。踏み跡が不明確になったら、また福島側に踏み跡を探す。
 6:19−22 1938m手前の鞍部で休憩。踏み跡は小ピークを巻きながら福島側につけられている。1895mの手前では、立派な登山道となり小ピークをトラバースしていく。ピークを巻いてから台倉高山に向かうのだろうと思っていたが、次第に下り道になってきたので現在位置を確認すると、尾根から200mも西に外れてしまっていた。
台倉高山
台倉高山について気分は完踏

三段田代
2033mピーク付近にある三段田代

台倉高山
馬坂峠、帝釈山川の笹原をバックに記念撮影

 7:15 180度方向転換をして尾根に取り付く。直ぐに赤テープが見つかる。少し休憩してから台倉高山を目指す。真っ直ぐに行くと湿原に突っ込んでしまうので、一旦、栃木側に回りこむ。背の高い笹薮の中を倒木を乗り越えながら進む。湿地を避けながら進み、台倉高山への急登に取り付く。
 8:49−9:22 「台倉高山 2066.7m 桧枝岐村」と書かれた標識。握手を交わし、藪の制覇を祝う。ザックをおいて、ゆっくりと展望を楽しむ。南に見えるのは男体山と女峰山にはさまれた真名子山。黒岩山の左手に頭を出しているのは日光白根。西には燧ケ岳。北に見えるなだらかな稜線は会津駒ヶ岳だ。思いの他、順調に来たのでタクシーの時間を早めてもらおうと携帯を取り出したが、ドコモもAUも繋がらなかった。とにかく、馬坂峠を目指すことにする。登山道は北峰を栃木県側に巻いたあとは、福島県側をトラバースしていく。途中、なんどか携帯を取り出すが繋がらない。2028mのピーク付近でHrさんのAUが繋がった。14:00に予約していたタクシーを11:00に変更してもらう。「すぐに出るけど、1時間では、そちらに着かない」といわれたので、「ゆっくり林道を降りてます。」と答える。途中、自然保護の腕章をつけた人とすれ違う。2033m付近には3段田代と呼ばれる湿原があった。
 11:14−29 長い坂を下りきって馬坂峠に到着する。改めて握手をして無事の踏破を祝う。帝釈山側の笹原と淡く紅葉した樹が美しい。やはり、タクシーは来ていなかったので林道を下る。
 11:49 30分ほど下ったところでジャンボタクシーが登ってきた。一旦通り過ぎて、道幅の広いところでUターンして来てくれた。田島タクシーには、何度も予約をキャンセルして申し訳ないことをしてきたが、ようやく利用することができた。林道川俣檜枝岐線を下って、伊南川沿いの国道352線を北上する。このあたりは、7月末の集中豪雨で甚大な被害が出たところだ。西側の山稜から流れ出る沢という沢すべてで土石流が起きていた。1階部分が失われている家屋などが、そのままの状態になっている。改めて被害の大きさを実感した。もしも、7月の末、撤退せずに、ここまで来ていたら、何日か足止めされたに違いない。自然の力は恐ろしい。
 13:25 ほぼ2時間をかけて会津高原まで降りてきた。夢の湯の前で降ろしてもらう。タクシー料金は、¥27,380。グループでなければ来れないところだ。お風呂で汗を流してから、駅前の食堂に入る。キノコ尽くしの小鉢を肴に祝杯。15:37発の野岩鉄道に乗り、新藤原で降りる。15分の乗り継ぎの間に近くのコンビにまで走って酒を調達。東武線の車中で宴会を始める。盛り上がりすぎて、他の乗客から注意を受ける。

 久しぶりに天気の心配をせずに、山を楽しむことができた。季節や天気によって、山はまったく別な顔を見せてくれる。今回は、藪山行ではあったが、さわやかさを感じさせてくれた。長袖を着てちょうど良い気温と、乾いた空気。青い空。あまり発色は良くなかったものの、秋色の木々。やはり、過酷、ストイックな山行よりも、さわやか、和やかの山行のほうが楽しいのは当然。分水嶺の完踏までには、まだ20年はかかる。今のメンバーで、今のままのやり方で続けるのには無理がある。いい季節、いい天気を選んで、みんなで楽しめるルートに挑む。楽しみながらプロジェクトを進めていく方法を工夫しよう。