2012年4月29日〜5月3日
分水嶺31 平ヶ岳
劒ヶ峰 眺めて繋ぐ 分水嶺



メンバー:Aテント MrT(CL)、TuB(SL)、TkZ、KsM
      Bテント HoR、YmT、IwI、YbT、TkR

 大水上山から至仏山、鳩待峠までを結ぶ大縦走の予定が、蓋を開ければ、連日、雪の宴の贅沢山行。残雪期の山を楽しみ尽くし、ルートをつなげる楽しみは先に残した。


 大水上山から至仏山までの23kmにも及ぶ利根川の源流部の分水嶺には登山道が無い。途中の平ヶ岳にも積雪期にはアクセスルートが無いので、長期縦走で一気に抜けるしかない。昨年のゴールデンウィーク、大縦走にチャレンジしたが、中ノ岳から大水上山に下る途中で吹雪になり停滞を余儀なくされ、残る行程の燃料の残量に余裕が無くなり敗退した。今年こそは、と、万全の燃料計画と予備日を確保して計画を立案した。
 実施の2週間前、メンバーが確定し、現地の状況を確認する。南魚沼市に電話をすると、三国川湖ダムから十字峡への市道は昨年7月の豪雨で崩壊したあと復旧工事ができておらず、通行は勧められないとのこと。昨年、丹後山避難小屋でお世話になった越後三山岳友会のK氏にも状況をうかがう。昨年は釼ガ倉山の下りの雪渓が安定しておらず苦労したこと、至仏山への登りは雪が少なくハイマツに足を取られて時間を要したことなどルートの状況についてアドバイスをもらう。電話を切り、改めて我々の計画について考える。甲子山でも、体力のある少人数パーティと、我々の大部隊での所要時間の差を再認識したばかり。連日の長時間行動となると、燃料はもっても、体力がもたない可能性が高い。その夜、K氏から電話がある。三国川湖の市道は相当崩壊しており、大人数で通過するのは厳しいだろうとのこと。我々のために、わざわざ現地を見に行ってくれたことに感謝して電話を切る。
 距離は長くとも、危険の少ないルートに計画を変更することにする。初日は鳩待峠から至仏山に登り、2日目に白沢山付近まで足を伸ばしてテントを張り、3日目はテントを置いて平ヶ岳に登る。釼ガ倉山から先は、その稜線を観察するだけで忍従してテントに戻り、4日目には県境沿いに景鶴山を経て尾瀬に降り、5日目には燧ケ岳を経て御池に下りる計画。6日目も予備日として共同食、燃料を用意する計画で、行程、装備面では万全な計画。問題は荷物の重さのみ。計画変更で気が緩んだこともあり、なんでもザックに突っ込んでしまう。70Lのザックでは入りきらず、久々に80+15Lのザックを使うことにした。テント、共同食を入れる前の計量で26kg。ちょっと重過ぎるが、まあ、何とかなるだろう。

2012年4月29日 日曜日 快晴

鳩待峠
快晴の鳩待峠

尾瀬ヶ原
オヤマ沢田代手前から尾瀬ヶ原、燧ケ岳、会津

至仏山
至仏山へ向かう蟻の行列?

至仏山頂
雪の無い至仏山頂

 6:08 Maxとき301号に乗る。連休2日目で混雑を予想していたが、朝早いためか自由席でも余裕を持って座れる。50分で高崎に着き上越線に乗り換える。沼田駅で予約していたタクシーに乗ろうとすると、IwIが「忘れ物」と叫ぶ。電車にウエストポーチを置き忘れたとのこと。中にはカメラが入っている。名写真家のIwIのカメラが無いのは痛手だが仕方が無い。水上駅で見つかったウエストポーチは着払いで自宅に送ってくれるとのこと。最近はJRも顧客サービスが良い。戸倉を過ぎて鳩待峠に向かう。徐々に路肩の積雪が増えてくる。この道は、雪崩の危険があるため夜間閉鎖になっている。鳩待峠に着くと、車が一杯停まっていた。スキーやスノボーを持っている若者が多い。登山スタイルのパーティは少数派だ。
 10:05 鳩待峠から至仏山を目指して歩き始める。雪はしまっていて歩きやすい。広い尾根をスキー、スノーシュー、ワカンと、さまざまなトレースが思い思いに登っていっている。1866.9の三角点のピークは、夏道は南側を巻いているが、冬道は北側を巻いている。オヤマ沢田代まで登ると尾瀬ヶ原の雪原が見える。奥に見えるは燧ケ岳。その左には会津駒ヶ岳が見える。2週間前には純白の山だった会津駒も相当雪が少なくなっている。小至仏、至仏山の山腹をトラバースしている登山者が蟻の行列のように見える。この登山道は、植生保護のために5月7日に一旦閉鎖される。今が一番人出が多い時期のようだ。小至仏も東側を巻く。この季節、稜線は雪がなくなっており、植生保護のため雪の豊富な東側に冬道が作られているらしい。
 13:30−40 至仏山の頂上には50人ほどもいただろうか。記念写真を撮るのも順番待ち。4月20日の尾瀬保護財団による残雪調査の時には1/3ほど雪に埋まっていた山頂の石柱も、すっかり露出している。山ノ鼻に下る登山道を見送って、植生に踏み込まないように東斜面をトラバースしながら分水嶺を北上する。
 14:20 山頂からの視界から外れた2045の手前の鞍部にテントを設営する。テント前の斜面に雪のテーブルを設営。今回のためにアメリカの通販サイトから入手したPrimus Etapower MFにガソリンをセットして水を作る。大水上からの縦走を計画していた時点では軽量化のために燃料はガスに統一するつもりだったが、ルート変更により軽量化の必要性が減ったのでガソリンが使えるバーナを2台持ってきている。もう1台は、IwIのMUKAストーブだ。こちらは技術にこだわるSOTOが昨年発売した国産ストーブ。4.7kW(4000kcal/h)の強力火力。Etapowerは、高効率なコッフェルに合わせて出力は2kWと控えめな設計になっている。強力なMUKAと高効率なEtaPower Potの組み合わせだと、あっという間にお湯が沸く。ワインで乾杯をしていると3人のパーティが歩いてきた。景鶴山から縦走してきたとのこと。できれば鳩待峠まで降りたいといっていたが、相当疲れた様子だったので無事に降りれただろうか。我々としては、明日、県境まではトレースがあることが確定したので一安心。しばらくすると、軽装の若者3人が2045のピークでうろうろとしているのに気付く。ルートを間違えたのかと声を掛けるが、迷っているのではなさそうである。しばらく見ていると、ビニールシートのようなものをお尻に敷いてムジナ沢の方に一気に下っていった。計画をしての行動とは思われるが、軽装でバリエーションの領域に入り込むのは感心しない。尾瀬ヶ原、燧ケ岳の景色を眺めながらキムチ鍋に舌鼓を打つ。
至仏山から燧ケ岳 雪のテーブル
至仏山頂にて燧ケ岳をバックに

後ろには、下津川山−中ノ岳−平ヶ岳


2012年4月30日 月曜日 快晴

 3時起床。餅スープの朝食。
 4:51 ストレッチをして、雪のテーブルを埋め戻す。よろけながらザックを背負う。昨日よりも、ワイン700ml、ガソリン300cc程減ったはずだが、まだ27kgはあるだろう。今晩はベースキャンプを張る予定なので、あと一日の辛抱だ。
藪突入
ハイマツの藪を下る

平ヶ岳
ススヶ峰より、右端が平ヶ岳、左よりのピークは中ノ岳

県境尾根
右手に平ヶ岳を見ながら県境の尾根を進む

雪のテーブル
雪のテーブル Part 2

 5:18−31 藪を避けて稜線の東側を下ってきくが、いよいよ藪への突入がさけられなくなる。アイゼンを外して肩ほどの高さのハイマツ帯を下る。昨年、K氏がハイマツに足をとられて苦労したといっていたのは、ここのことだろう。先週の暖かさで一気に雪解けが進み、昨年より雪が少ないようだ。KsMがトップに立ち30分ほどかけて藪を突破。TkRにトップを代わり雪面を東側に大きく迂回して稜線に戻る。順番にトップを変わりながら小さなアップダウンを北に進む。岳ヶ倉山に登る手前で単独者が降りてきたが、声を掛けるまもなく猫又川に向けて下っていった。
 8:26−35 岳ヶ倉山の頂上で休憩。北上するにしたがって景鶴山の形がわかっていく。振り返れば、ところどころに藪の出た至仏山の左手には日光白根が特徴のある山容を見せている。
 10:07−13 ススヶ峰の手前で休憩。ススヶ峰を越えると平ヶ岳が見えてくる。左手には中ノ岳も見える。本当は、あっちから歩いてくるはずだったのに、と、ちょっと悔しく思う。県境に向かって歩いていくと明後日登る予定の大白沢山が見える。西側は急進に切れている。登れそうなルートを遠目に探しながら歩く。
 11:17−29 県境で休憩。平ヶ岳に向かってもトレースが続いている。1920のピークには、いやらしい雪庇ができていた。スノーブリッジ状になっている。左により過ぎないように注意を喚起して通過する。ピークを過ぎると傾斜のきつい下りが続くが雪は安定しており危険は無い。鞍部の先には、今日の目的地の白沢山が見える。ところが、HoRがペグにする枝を拾い始める。まだ早いよ、というが、既成事実を積み上げながら支持拡大をたくらんでいるようだ。
 12:06 続行派、幕営派、合い拮抗する状況であったが、前半戦での無理は禁物と幕営とする。テントを設営して雪のテーブルを作っていると、何人かのスキーヤーが降りてきた。山ノ鼻から平ヶ岳を日帰りでピストンとのことで皆軽装だ。昨日より少し大きなテーブルを作る。あまりにも時間が早いので15:00までは禁酒との沙汰を出すが、まず最初に自分が我慢をできなくなって、50%以上に薄めれば酒とはしないという抜け道を作りジャックダニエルを飲む。しばらくすると4人のパーティが降りてきた。男女二人ずつ。三国ダムから入り、丹後山避難小屋の手前で1泊、昨夜は、藤原山の先で泊まったとのこと。三国川の道は崩れてはいたが通れたとのこと。釼ガ倉山の下りは藪漕ぎで通過したとのことで相当にきつかったようだ。今日は、ここを登ったところに幕を張るといっていたが、我々が20分で降りた坂を登るのに1時間以上かかっていた。疲れているのだろう。しばらくすると、今度は2人組みの青年が降りてきた。初日は日向山、2日目が藤原山、今日は大白沢山の分岐まで行く予定とのこと。やはり藪漕ぎがきつかったようだ。我々が当初予定していたコースを抜けてきたパーティが居たことを、ちょっと悔しく思うが、少人数で、装備も最小限に絞り、連日10時間を越える行程をこなしており、我々がまねをできるスタイルではない。彼らから見れば、食料や酒を十分に持ち、余裕のある行程で雪山を楽しんでいる我々がうらやましく見えたようだ。難コースの突破を目指すのであれば、他の楽しみは犠牲にして、それに特化しなくてはいけない。二兎を追うのは危険である。今の我々のチームには、難コースの突破よりは、雪山エンジョイのスタイルが合っているようである。15:00を過ぎ、ジャックダニエルをストレートで飲む。あれ、味がおかしい。ジャックダニエルと思い込んで飲んでいたのは、安いブランデーだった。似たような色のお酒を3本もザックに入れてきたので勘違いしていた。改めてジャックダニエルで乾杯。今日のメインディッシュは、炊き込みご飯。それに高野豆腐と揚麩の煮込み。やはり、雪のテーブルを囲み語り合う時間を持つことは捨てがたき幸せだ。

2012年5月1日 火曜日 曇

平ヶ岳
平ヶ岳の山頂の雲を風が吹き飛ばした

平ヶ岳
平ヶ岳山頂の積雪量観測ポールにて記念撮影

2072
今回の終着点にて釼ガ倉山をバックに記念撮影

景鶴山
景鶴山の東尾根は急峻だ

雪のテーブルpart3
雪のテーブル part 3

 3時起床。トマトスープのリゾット。餅と昆布の組み合わせが不思議と合う。
 4:38 雪のテーブルにスキーヤーが突っ込まないように表示を立てて出発。直ぐにIwIのアイゼンが外れる。どうも昨日から調子が悪い。装着しているとTkRがベルトの締め方がおかしいという。踵側をクロスする様に締めるとしっかりと装着できた。今日はザックも軽く軽快に登っていく。会津駒に朝日が昇る。朝焼けは天気が悪くなる兆し。2000mぐらいに雲がかかっている。
 5:23−31 白沢山の手前で休憩。振り返ると歩いてきた尾根が見える。東側は、ずいぶん雪が落ちている。至仏山も雲の帽子をかぶっている。白沢山は西側を小さく巻く。スキーヤーのトレースは、アップダウンを避けてピークを巻く傾向がある。しばらく行くと、単独者が降りてきた。初日、丹後山避難小屋に泊まり、昨夜は平ヶ岳に泊まったとのこと。今年の連休は、雪が少なく藪漕ぎは強いられるものの、28日から4日間好天が続き、縦走の好機だったようだ。平ヶ岳の最後の登りにかかる。大水上までを、道つなげるか考えながら歩いていたら、トップに来いと声がかかる。平ヶ岳登頂の先鋒を僕に譲ってくれたのだ。一歩一歩、ゆっくりとステップを切りながら登る。平ヶ岳は御椀を伏せたような山容で、少し登ると、また少し先が見える、ということを繰り返し、なかなか山頂に着かない。雪面の僅かな特徴を目印に登っていく。
 6:56−7:07 ガスの中に積雪量測定用のポールが見えてきた。ポールにタッチして記念撮影。三角点は北東の林の中にあるが、最高地点は此処だ。分水嶺に沿って、もう少し進んでみることにする。強い南風が吹いている。今回は風速計を持って来なかったので計測できなかったが、瞬間では20m/sぐらいありそうだ。
 7:36−53 2072mの肩まで進み、風がよけられる樹林の陰でザックをおろす。前方には釼ガ倉山の東尾根が見える。南側の雪は、すっかり落ちてしまっている。すれ違った3パーティは、あそこを下ってきたのだ。釼ガ倉山から右の方に伸びていく分水嶺の尾根を目で追う。簡単に歩けそうなところもあるが、藪漕ぎを強いられそうなところも多い。今回は、眺めて分水嶺を繋いだことにして、引き返すことにする。平ヶ岳から下り始めると雲が取れてきて越後の山々が良く見えるようになる。TuBと二人で、どれが大水上山かと、何度も振り返りながら歩いていたら、だいぶ遅れてしまった。西の方向に見えている高い山は、越後沢山で、大水上山は釼ガ倉山から西に延びる尾根に遮られて見えていない。
 9:40−42 白沢山の頂上で小休止。
 10:12−11:08 テン場まで戻り、テントを撤収。お湯を沸かしてコーヒーを飲む。雪のテーブルを埋め戻して出発。昨日、4人パーティが1時間かけて登っていった坂を30分ほどで登る。そして、1920に差し掛かり、昨日の雪庇がどうなっているだろうと気にしながら歩いていたら、前方から「あっ」という声が聞こえる。見ると、TkZの足が見える。例の雪庇を踏み抜いて逆さまに落ちたのだ。幸い、ハイマツの根のあるほうに落ちて怪我も無い。皆で引き上げて先に進む。
 12:03−13 大白沢山の分岐で休憩。ここからは、分水嶺を離れて、県境を進む。少し下ると大白沢山が正面に立ちふさがる。二日目に分水嶺の尾根から観察した限りでは、南側に回り込みながら登れば、岩場を避けて頂上に出れるはずである。IwIが先頭で進む。右側のトレースを選び藪を回りこんでいくと雪壁に突き当たる。かなり急ではあるが、しっかり足を蹴りこめば雪は安定している。
 12:43 藪を避けながら雪壁を登っていくと、いきなり頂上に出た。記念撮影をして鞍部まで下る。
 13:01 鞍部から風を避けて少し北側に降りたところを今日の幕営地とする。テントを設営して雪のテーブルを作る。足が入る部分を深く掘り込んで、座る部分をテーブルの高さより20cmほど低く設定。快適なボックス席が出来上がった。シーバスリーガルで乾杯。今日もガソリンのバーナを使う。二人で1.8Lほど持ってきたガソリンを3日間で使い切った。今日のメニューは蕎麦。疲れたときは麺類が良い、というメンバーに配慮したメニュー。参加メンバーの好みまで考えて、いつも創意工夫の食料計画を当ててくれる食担に感謝一杯だ。

2012年5月2日 水曜日 曇

 3時起床。サムゲタンの朝食。雨の予報に雨具を着こんで出発の準備。静岡や神奈川では大雨になっているようだ。燧ケ岳に登るという明日の予定はキャンセルし、今日中に鳩待峠まで戻ることにする。
 4:55 出発。雨は降っていないが、強い南風が吹いている。
 5:58−6:10 景鶴山の手前で休憩。景鶴山の北側には池塘などもあり貴重な植生があるということで入山禁止になっている。積雪期には登山が黙認されているようで、毎年、かなりの人が登っているが、多くは、東の尾根からのピストンだ。西側からは大きく北側を巻くトレースと、尾根を直登トレースがあったが、尾根を登るトレースを選ぶ。YbTを先頭に雪壁を登っていく。滑りやすい薄い雪の斜面を、笹までアイゼンを蹴りこんで登ると、岩に突き当たった。南斜面は崖になっていて進めない。2番手を登っていた僕が、岩の隙間を北側に抜けようとすると「アイゼン」と声がかかる。僕の左足のアイゼンが外れたのだ。滅多に外れることは無いのに、なんでこんな核心部で、と思いながらアイゼンを閉めなおす。「安全なところで待機」と後続に声を掛けるが、風が強く、伝わらなかったようだ。不安定な薄い雪の付いた斜面に取り付いているメンバーから、もう少し先に進んでと声がかかる。こちらも25kg超のザックを背負ってのアイゼン装着。気があせる。着いたと思ったら、手袋の紐をアイゼンベルトに挟んでしまってやり直し。ようやく装着して、岩の隙間を越えると、北側には安定した雪面があり、トレースも見つかった。アイゼン無しで此処まで着ておけば、後続には不安定なところで待ってもらわずに済んだと申し訳なく思う。稜線の北側を藪をこぎながら登る。ほぼ登りきったところで稜線に出る踏み跡があり、YmTさんに偵察してもらうが、稜線は雪庇が出ていて歩けないようだ。しばらく稜線の数m下をトラバースしていくが、前方が崖になり進めなくなる。GPSでは頂上は30mほど先にあるはずだが、ここから北斜面を降りてトラバースすることにする。HoRが後ろ向きになってステップを切りながら、急斜面を30m程下ると北斜面をトラバースしていた踏み跡と合流する。ほぼ水平にトラバースして景鶴山の東側の稜線にでる。稜線を直登するトレースを右に分けて与作岳方面に向かう。
景鶴山への登り 景鶴山から下降
藪と岩をを縫い景鶴山へ攀じ登る

景鶴山の北斜面をステップを切って下降する

 7:24−33 一旦降りきった鞍部で風をよけて休憩。ここから先は、広い尾根が続く。8:06与作岳を通過。何組かの軽装のパーティとすれ違う。
 8:34−44 1730m付近で休憩。眼下には尾瀬ヶ原が見える。左手には元湯山荘、前方には見晴の小屋が見える。燧ケ岳の山頂は雲に隠れているが、天気は持っている。9:38笹山を通過。南西に伸びる県境の尾根を下ろうとも思ったが藪が出ているので、素直に東電小屋に下ることにする。
 9:53−10:02 東電小屋に到着。未だ営業しておらず、入り口は雪囲いの板でふさがれている。小屋の前の雪が解けたところでは蕗の薹が咲いていて、水面が出たところでは水芭蕉が咲いている。雪に覆われた木道を歩く。下に川が流れているところでは雪が解けて木道が露出している。危険なのは、その前後である。木道を踏み外すと、その下は1mほどの空洞になっている。HoRがトップに立ち、木道の位置を探りながら歩いていく。「あっ」という声とともにTaZの姿が消える。今回、落ち癖が付いてしまったようだ。皆で引き上げる。
東電小屋に到着 景鶴山から下降
東電小屋に到着

雪が解けると直ぐに咲く水芭蕉

東電小屋に到着 景鶴山から下降
木道の隙間に落ちると一大事

板が外されたヨッピ吊橋を渡る

木道
スノーブリッジが崩れ丸太だけが残る

平ヶ岳
岩魚三点セット

 10:45−50 ヨッピ橋を渡る。まだ板が外されたままで、鉄アングルの上を渡る。ここからはKsMがトップを歩く。なんとなく盛り上がったところが木道。40cmほどの幅の2車線の木道。危険なのは、その間の50cmほどの隙間だ。ところどころに、ずぼっと落ちた穴が開いている。
 11:43−48 木道を外れると、どこで落ちるかわからないので休憩も取れない。木のベンチのあるところで、ようやく休憩。
 12:52−13:08 山ノ鼻に到着。まだまだ沢山残っていおる行動食を食べて、鳩待峠に向かう。
 13:49−58 テンマ沢を過ぎて道が左にカーブするところでAUが通じる。水芭蕉に電話をして宿泊の予約をする。迎えを頼むが断られる。主人と息子が鳩待峠に行っているので相談してくれと。ヨセ沢を越えて川沿いに歩いていく。踏み跡は本流の向こう側に続いているが、スノーブリッジはすでに崩れている。横たわっている丸太を渡れば進めそうだが、かなり危険だ。GPSを見ると夏道は右岸の高いところを通っているようだ。少し戻り斜面を登ると踏み跡を見つける。山ノ鼻に向かう何組かの登山者とすれ違う。
 14:56 鳩待峠に到着。止まっている車は少ない。連休の谷間、天気も谷間で、賑わいも小休止といったところ。水芭蕉のご主人は鳩待山荘の前で屋台の準備をしていた。岩魚の塩焼きを売るのだそうだ。送迎を頼んだが、今日は、軽トラで来ているのでバスで行ってくれとのこと。ストレッチをして15:25のバスに乗り込む。
 水芭蕉に着いて、ゆっくりとお風呂に入る。食堂に上がり夕食をいただく。岩魚の刺身、岩魚の塩焼き、岩魚のから揚げ、山菜の天麩羅、お豆腐、舞茸ご飯に、手打ちの蕎麦と、御主人の言っていた「豪華」という言葉に偽りは無い。

2012年5月3日 木曜日 雨

 朝食をいただい後、息子さんの運転するマイクロバスで沼田駅まで送ってもらう。高崎で新宿湘南ラインに乗り換え。昼過ぎには横浜に帰る。

 昨年の敗退から一年をかけて準備した山行。結果的には計画段階で縦走を断念し、平ヶ岳のピストン山行となった。このこと自体には悔いが無いわけではないが、山行の内容としては満足できるものであった。臆病な状況判断を勇気をもって行うこと。永く続ける秘訣だろう。事故さえ起こさなければ山の楽しみ方はいろいろ。状況状況に応じて、それぞれの役割を果たしてくれるメンバーに感謝をしつつ、次の計画に想いを馳せる。