2013年9月28日〜29日
流石山
分水嶺42 村田さんの追悼登山



20130928
横浜万里橋0630−1530沼原発電所1550…三斗小屋宿1735

20130929
泊地0500…0715大峠0727…0815流石山0920…0955大峠1028…1100林道終点…1235観音沼駐車場1245−1745万里橋




 今回の山行の目的は二つ。中央分水嶺関東ルート踏破と、それを目前にして亡くなった中央分水嶺のメインリーダーである村田さんの慰霊である。



9月28日

 横浜万里橋を6時半に出発したものの、途中の東北自動車道の事故通行止めにより、沼原発電所到着が15時半となり、予定から5時間近く遅れたため、直接三斗小屋宿に向かうことにする。
 約2時間後、あたりが薄暗くなってきた頃ようやく到着。早速テントを4張り設営する。昼食は、各テントオリジナルメニューで皆満足したようだ。


発電所先の橋手前でストレッチ


テントでの夕食
私たちは豚汁とサラダ、おつまみいっぱい


9月29日

 翌日は3時半起床5時出発。薄暗い中大峠に向かう。今回は三斗小屋温泉経由ではなく会津中街道を歩こうという計画だ。径路に沿い途中の橋を渡って進むが、こちらは三斗小屋温泉方面へのルートだった。橋を渡り戻って中ノ沢右岸のルートを捜索する。ようやく踏み跡を見付けて進むことが出来た。


那珂川源流の碑


この橋を渡ってはいけない

 この会津中街道のルートは何カ所か徒渉がある。飛び石沿いに渡るのだが、水量が多くそれなりに苦労する。3回徒渉し、空が開けてきたところで三斗小屋温泉からのルートと合流する。 ここから少し登り左手に流石山への尾根が見えてくると大峠は間近。笹原を超えると到着。


中ノ沢右岸側で径路を探索

徒渉その1


徒渉その2


徒渉その3


三斗小屋温泉からのルートと出会う


合流点の案合図


流石山への稜線が見えてきた


大峠に到着

 大峠は、戊辰戦争の激戦地。会津軍が設けた塹壕の跡もある。お地蔵様がいくつも安置されているのが印象的だ。
 この大峠を踏んだことで中央分水嶺関東編は無事つながったことになる。本来であればここから西に進み、流石山、大倉山、三倉山と歩いて、その先にある黒滝股山から歩き続けた先の1389m下降地点まで行くのが本筋だが、激しいヤブのため少し尾根を外して繋がせていただいた。
 休憩後、少しでも分水嶺のルートを追って行こうということで流石山に向かう。見晴らしの良い尾根だ。笹原を爽やかな風が通り抜ける。灌木の紅葉も進んできているが、今年の異常気象のせいか紅葉しないまま枯れている葉も目立つ。1時間弱で流石山山頂。

  
 
大峠の古い石仏達

 
大峠の新しい石仏達

 今回の山行のもう一つの目的である村田さんを偲んで、遺影に線香を供え献花献杯を行う。皆で『千の風になって』を歌う。折しも山頂を爽やかな風が吹き渡る。涙が止まらなくなる。
 一緒に来たかっただろうなあ。一緒に来たかったなあ。事務所で初めて分水嶺山行の計画打ち合わせを行ったこと。第1回の分水嶺山行で藪の中をみんなでルートを探したこと。テントでの楽しい宴会。帰りの温泉入浴。村田さんと歩いた分水嶺山行は、楽しい思い出が本当にいっぱいあった。もう一緒に歩いてはくれないんだなあ。でもまだ分水嶺は北に西につながっているから、僕たちはまだまだ歩き続けよう。村田さん見守っていてくださいね。そして時々テントの中の僕たちに夢の中で語りかけてください。


流石山に向かう


流石山頂上にて

 快晴の山頂はとても気持ちがよい。穏やかな風の中ゆっくりと空を眺める。しかし、さすがに分水嶺の猛者達。幾人かが大倉山まで往復したいという。残りのメンバーが休憩している約1時間の間との約束で先に進んでいった。結局残りメンバーが休憩後大峠に戻ったのに少し遅れて峠に到着。その健脚には恐れ入った。

 

流石山頂上にて記念撮影


大峠に戻る


沼ッ原調整池と深山湖


茶臼だけの手前に三斗小屋温泉の湯煙

  下山は会津側だ。1時間ほど下ると駐車場があってそこでバスに乗れるはずだったが、林道の一部が崩壊しているため車が入れず観音沼駐車場まで歩くことになる。途中、ヤマブドウを見付けて見付けては食べ、探しては食べながら楽しく下り、2時間ほどで観音沼駐車場に到着。


ヤマブドウの収穫


甘酸っぱいヤマブドウ

 バスに乗車し横浜に帰る。途中コンビニによって食材等を仕入れ、車中で反省会。若干の渋滞はあったもののほぼ順調に進み、17時45分無事に万里橋に到着した。